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ねことパンの日々

ねことパンの日々

雑兵物語 中村通夫校訂

雑兵物語・おあむ物語(附おきく物語) 中村通夫・湯沢幸吉郎校訂 昭和18年(平成18年復刊) 岩波文庫

雑兵物語(岩波文庫復刊)

ずいぶん前に、ラヂヲの教育番組で紹介されていたのを聴いて、興味をもった本です。

雑兵物語(ニュートンプレス)
(雑兵物語他(原本現代訳22) 吉田豊訳 平成9年 ニュートンプレス)  

もともとは、こちら↑の現代語訳を読んでいたのですが、今年、岩波文庫から復刊されたのを機に手に入れました。できるだけ原語に近いものを読みたかったので。
しかし、長いこと埃をかぶってました...。なかなか読めなくて。(;´Д`A ```
今回は、これらの本に収められているものの中から『雑兵物語』について書きます。


「雑兵物語」とはいっても、雑兵の生活を描いた読み物というわけではありません。
(たしか『貧乏物語』でもそんな誤解をしたような気が...(; ̄ー ̄川 アセアセ)
合戦で活躍した足軽たちが、それぞれの立場に沿って、戦闘のすすめ方、怪我の治療法、馬の扱いなどを喋り合うような形式で書かれた、いわば雑兵達のための兵法書です。
自分の経験を語って聴かせる足軽たちの名前が面白い!例えば、
鉄砲足軽小頭の「朝日出右衛門」、同足軽の「夕日入左衛門」、弓足軽小頭の「大川深右衛門」、同足軽の「小川浅右衛門」、持弓の「矢左右衛門」と「矢右衛門」などなど...(;´Д`A ```
まるでオヤジギャグです。
で、記述はかなり具体的かつ実用的で、
「息が切れたら、袋の底に入れておいた梅干しを取り出して、ちょっと見ろ。ぜったいなめてはいけねぇぞ」
とか、
「敵地の井戸の水はぜったい飲むんじゃねぇぞ、底にはおおかた糞を沈めてあるから当たる(中毒をおこす)べぇぞ」
など、ほほう、と思わせる知識がたくさんあります。

また、やはり戦の書ですから、
「梅干しを見ても喉が渇くようなら、死人の血でも泥水の上澄みでもすすっていなされ」
とか、
「敵地では、踏み込んだら、何でも目に見え手に引っかかり次第拾うべぇ」
とか、なかなか生々しい記述もあります。
戦地で生き抜くための泥臭い方法、しかし非常に実践的な方法ではあります。コワイですねぇ。

こうした雑兵の戦時訓が、天下定まった江戸の初期に編纂・発行されたというのは、何か不思議な気もします。
この書物の成立年については、、岩波文庫本に明暦3(1657)年から天和3(1683)年の間と推定されると書かれています。ほとんどが第四代将軍家綱の時代ですね(ちなみにこの後の将軍は、犬公方と呼ばれた五代綱吉です。)。
家綱の時代は大老酒井忠勝ら重臣の働きによって、幕府機構の再編が行われていた頃であり、つまりは永く続いた戦乱の時代から、おだやかな太平の時代への変化に対応する時期でもあったのでしょう。
しかしながら、「武家たるもの~であらねばならぬ」という気概は、各大名たちの間に強く残っており、文治政治の拡大や、武力を伴わない政治闘争を横目で見ながら、乱世を懐かしみ、昨今の為体を嘆く心は、彼らの中に少なからずあったのではないでしょうか。『甲陽軍艦』などの戦術書が多く編纂されたのがこの時期であることを考え合わせると、「今だからこそ遺さねばならぬ」という、編者たちの焦燥にも似た気分を感じ取ることができます。
そんな大名・旗本たちの心を代弁するように、戦乱の世への憧れを滲ませて語られる足軽・雑兵たちの言葉は、あくまで泥臭く、あくまでストレートに、私たちに響いてきます。

ちなみに、本書の作者または撰者とされている人物に、将軍家綱の重臣のひとり松平信綱の第五子で、上州高崎(現在の群馬県高崎市)城主の松平信興がいます。本書の雑兵たちが語る言葉は、当時の奴言葉、または六方言葉と呼ばれていたもので、北関東一円の方言であったようです。江戸に都が移され、人々が多く定住するに至り、流行言葉として広まったのですね。この言葉が現在でも色濃く残っているのは、そう、高崎を含む、群馬県西部地域なのですよ。
そんな薄弱な根拠で、作者信興説を支持しちゃおうという私は、やはり単純...ですよね...(; ̄ー ̄川 アセアセ

ところで。
本書が世に出たのは昭和18(1943)年のことです。南方での戦局が思わしくなくなり、ガダルカナルから日本軍が撤退したのを契機に次々と拠点が陥落、国内で挺身隊や学徒出陣が次々と準備されていた時期です。
校訂をした中村通夫は言語学者で、戦後は中央大学で教鞭を執ります。他に『浮世風呂』などの江戸文学の校注を行うなど、方言としての江戸語の研究を行った人物です。本書の「解説」には、

「今度文庫の一冊として公にする趣旨も、とかく我等の視野から逃れ勝ちであつた武家時代に於ける足軽中間等の所謂雑兵の生活感情をさぐり、そこに脈々として流れる旺盛な雑兵魂を知るの一助たらしめると同時に、一面国語史資料・方言資料として江戸時代初期東国語の片鱗を窺ふよすがたらしめようとする点に存するのである」

という記述があります。学者とすれば当然後者を第一義的なものにすべきなのでしょうが、前者の扱いを見かけ上でも大きく見せなければ大政翼賛に寄与しない、ということなのでしょう。これを戦略的におこなったとすれば、やはり悲しい。しかし、どんな状況でも学徒として世に遺すものを追究するという、ひとつの真摯なキモチの現れであったかもしれません。むつかしいものです。

読み物としても面白いですが、岩波のほうは旧漢字や旧仮名遣いばかりで、読みにくいかもしれません。そういう方には、ニュートンプレスの現代語訳をおすすめします。
また、本書収録の『おあむ物語』『おきく物語』もおすすめ。大阪城落城前後の、戦乱に左右された女性達の物語です。


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